西池袋TKデンタルクリニックの武末です

少し前に、ある企画で私が歯科医師になってからこれまでのことを

インタビューされる機会がありました。

そんなきっかけもあり、自身が歯科医師になってからの約25年間を

振り返ってみたわけですが、せっかくならこちらでもその一部を

書いてみたいと思ったので、数回に分けて思い出しながら書いてみようと

思いますので、よろしかったらお付き合いください。

1996年に25歳の時に歯科医師国家試験に合格しました。

当時は今と違って国家試験に落ちるのは恥というくらい通って当たり前という

時代でしたが、私にとってはそんな簡単なものには思えませんでした。

というのも、2月に国家試験があったのですが、実はその対策をし始めたのは

前年の12月の年末から。問題集すら見たこともなかったんです。別に舐めてた

わけではなく、大学の卒業に向けてそっちに集中してたからなのです。

正直最初に問題集を買い集め、問題を見たときにはビビりました。

「この量を2ヶ月で・・・・・ や・ば・い (汗  」

実は、卒後は大学院への進学も考えていたのですが、大学院の試験対策も

やりながら国家試験の勉強を同時に行なった場合に、どっちも不合格になる

可能性もあると考え、大学院への進学は一旦保留として、国家試験の勉強だけを

約2ヶ月間集中して行い、そしてなんとか合格できたのでした。

当時仲の良かった同級生がそのまま医科歯科大学の研修医として残るという

選択をした人が多かったこともあり、私も同じ道を選びました。

しかしこの1年間は正直、それほど実りのある期間ではありませんでした。

それこそ、研修医としての自覚に欠落してたのです。

半人前とは言え、学生ではなくなった身分に勘違いしてたというか、真面目に

目の前の課題に向き合わず、サボってばかり・・

本来は、この1年間の研修医の期間を利用して、現役の時に諦めた大学院への

道も考えていたのですが、先に院生になった同級生の1年下の学年になるのも

何となく嫌だなあという気持ちなどもあり、結局2年目には大学を出て、

都内の一般開業医の歯科医院へ就職することに決めました。

それが、練馬の氷川台にあった 「大谷歯科」でした。

当時の院長 大谷先生、そして副院長の鈴木先生 、新入りの私と

同じ年齢で私と同期入社の I先生 の4人体制での歯科医院でした。

それほど大きくない歯科医院に4人のドクターは多過ぎ?という気もしましたが

大谷院長は我々2名を新たに雇用することで、1日の長い勤務時間を考慮し

週休3日体制を考えられたのです。

日曜日だけは休診でしたが、当時は9:00〜21:00の長時間勤務で診療を

行ってました。

今思うと若かったからできたのかなあとも思います。また時代もあったかもしれません。

そんなわけで、私は日曜以外に2日も平日にお休みがあるという、何とも

贅沢な、優雅な歯科医師2年目を過ごすことになったのでした。

しかし一見優雅に見えた生活も ・・・・(次回へ続く)

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